あさが来た(147)誇り高き人生

「あさが来た」は大島さんが出る直前を含めた最後の2週の一部を視聴。

初日からアメリカ人建築家と開花問答。江戸時代が終わって30年で西洋の物まねばかりになってしまった、というアメリカ人に対して、そうじゃなかったら国を守れなかった、とあささん。

当時は新政府の宣伝で、国を守るには西洋化するしかない、西洋化しない人間は悪だ、という風に言われていわれていたらしく(「文明開化 失われた風俗」 (歴史文化ライブラリー) 百瀬 響 (著) )(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/54240584.html)その影響をあささんから感じさせるところは考証的な気がします。しかし、もしかしたら何の気なしに台本書かれただけで、現代日本人の認識がそこから進歩していないことを示すような気もします。

当時はおろか幕末の時点で日本はすでにほぼどこからも侵略される恐れはありませんでした。(「日本が条約を結んで通商を始めてからは」「危機は(中略)比較的、小さかった」(開国と幕末改革 日本の歴史18 (講談社学術文庫) 井上 勝生 (著)296ページ))

国を守るとして行った西洋化・軍国主義化が侵略戦争に駆り立てたことを私たちは知っています。

なので、当時の人間の認識としてはそうだったかもしれませんが、あさのこの発言に対して何もフォローを入れない台本は今日としては拙いです。

「ワンダーランドは消えてしまった」というアメリカ人のセリフにも違和感。当時の西洋の日本に対する評価はそういうアトラクション的な見方ではなく、もっと本格的なものだったと思います。「ワンダーランド」だと思っているのは現代の日本人では?と思いますね。

ラフカディオ・ハーンやジョサイア・コンドル、ウィリアム・スタージス・ビゲローやアーネスト・フェノロサななどを代表に、当時の西洋人は深い文化理解に基づく畏敬の念を江戸期の文化に対して持っていました。

そういう人たちが、明治の文化と比較できないくらい江戸期の文化のほうが優位であると語っているのです。「ワンダーランド」という興味本位の言葉に彼らの認識を代表させることは罪深い歴史の改竄にすら感じますね。

続いて、西洋化したこととして、洋服、ちょんまげを切ったこと、日曜休みになったことなどを挙げる面々。

捨てて一番まずかったのは禅仏教などを中心とした精神文化や漢方やその他の文化なんですけど、それに触れられていない所に、今の現代日本人が何を捨てたのがまずかったのかまだ自覚していないところが表れていると思います。

そういった文化・精神文化の衰退の果てに無責任が横行し破局を迎えることになるのです。

初めて観ましたけど、安倍政権的文脈で明治を賛美しつつ女性の「活用」を入れたお話なんだな、という印象。

司馬遼太郎さんは、江戸期を捨てたことが日本の失敗だった、と語っていました。鶴見俊輔やピーター・ファーディナンド・ドラッカーも同様のことを語っていますし、それらの意見に私も強く同意しているのですが、そういう反省はあまり感じないストーリーですね。

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