次の場面は江戸の芝居小屋。写楽こと斎藤十郎兵衛が芝居をみながら絵を描いていますけど、たぶんこういうことはしていなかったんでしょうね?
資料が残っていないせいか役者絵の制作過程について書かれたものをほとんど読んだことが無いんですよね。
歌川豊国の「三代目中村歌右衛門」は役者絵の最高傑作の一つだと思いますが、これは本人から描いてくれと言われたという製作の由来がわかる珍しいもの。
今でこそ写楽=斎藤十郎兵衛で決着していますけど、80年代の歴史ものの本を読むと諸説入り乱れてすごいことになっていてびっくりします。
松平定信がその創造性を摘み取る未来人の手先だったという筋立て。彼は実は浮世絵収集家としても有名なんですが、あくまで情報分析のためだったんですかね?
「あからさまに真を描く」といわれた写楽が創造性の象徴というのも面白い取り合わせですよね。
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