横山由依(AKB48)がはんなり巡る京都いろどり日記#19 「京の新春 ご利益さんぽ」その10

無になったわけじゃないけどこれだけ喋らないことはない、と横山さん。
「身体を忘れがちなので」それと向き合うのが座禅だというお師家さんの解説。身体によって仏教を極めるという禅の原点をしっかり解説していますよね。

廃仏毀釈から今までは身体論・生理学が未発達だったので仏教の価値がわからなかった、ということは強くあります。

今月号の中央公論の上田紀行さんの文章でも最後に禅の身体性が強調されていましたし、仏教(禅)というものの身体的な価値に仏教界が急速に自覚的になりつつあることを感じます。

ただ、この文章では戦前の日本軍の苛烈な体罰や絶対的な上下関係は禅から来ているとしていますけど、それはどうなんでしょう。

確かに戦前・戦後の永平寺などは体罰が酷かったようですが、道元禅師は体罰を否定していましたし、日本で体罰が始まったのは日露戦争以後で特に戦後に酷くなったといわれています。

江戸時代とかそれ以前の禅師の言行録などを読んでいても、実際に体罰は影も形も感じませんし、上下関係にしても先達に望ましいくらいの遠慮がある程度といって良いでしょう。

禅で体罰があったとしてもそれは近代からはじまったものなのではないか、といろいろ読んでいて思えるんですよね。

それが本当に禅由来といえるのか、歴史的な経緯を明らかにして書いてもらいたいと思います。

横山さんの大島さんとの写真は純朴な感じでとてもかわいらしいと思います!この眼鏡はかなり似合っていておしゃれですよね~。

マジすかのおたべさんの写真もとても楽しそうです!

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